こんにちは〜占い師のアラレです。
アラレの半生を綴ります。
自分語り、めっちゃ長いので時間がある時に、なんとなく読んであげようか〜と思ってくださった人に読んでほしいなと思います。
コーヒーでも用意してぼちぼち読んでください。
私も、この記事はカフェラテを飲みながら何日もかけて書きました。
アラレの歴史
今となっては「人生を自分の思い通りに進める」をテーマに発信していますが、何を隠そう、私自身が「人生を自分の思い通りに進めたい」からこそ、このテーマを中心に発信しています。
- 夫と対等でいたいし
- 人生の舵を自分で握りたいし
- なんなら、誰とでも対等でいたいし
- 自分で働いて自由に使えるお金が欲しいし
- 自分の好きなことが好きなだけできるお金も欲しいし
- 離婚など万が一があっても子供を十分養えるだけの力が欲しいし
- 指図されたくないから、両実家からのお金の援助とかは受けたくないし
とにかく、誰かに人生の舵をにぎられるのが大嫌いでした。
子供のころ、親に相談しなくちゃ何もできなかったのはすっごいストレスでしたね。
社会人になって、全てのことを自分で決めれるようになり「なんやこれ?天国か?!」と思ったところに、ウマが合わない上司が来て…
と、いろんなことがありましたが、最近まあそこそこ自分で人生の舵を握れるようになってきたような気がします。
「思い通りの人生」
待ってるだけじゃ絶対に掴めない。そう思っていたから、私は幼少期のころからずっと動き続けていた気がします。
幼少期:欲の片鱗が3歳の時からすでに見える
自分の思い通りに過ごしたい!と思う気持ちは、もしかしたら私が3人兄弟の真ん中に生まれたことから始まったのかもしれません。
食べ物も、欲しいものも、思い通りにいかないのがデフォルトで。
欲しいものに関しても
が、口癖で。
そしてその後もれなくシェア
いやいやいや!
兄弟は男やろ?私だけ女やろ? 欲しいもん、全然ちゃうやん!!!
うちの親が私たちにどれほどシェアを強要してきたかをお伝えするために、うちの兄弟が3人で1つ(1回)しか買ってもらえなくてシェアしてきたものを書きます
私が兄弟3人でシェアしてきたもの
- ソフトクリーム(3人で1つっておかしくない?)
- ねるねるねーるね(大きめのお菓子やから、という謎理論で)
- 新しいおもちゃ(3人で相談して決める)
- 新しいゲームソフト(3人で相談して決める)
- 遊園地:お金入れたら動く系の、動物の乗り物(時間計られて交代)
- スーパー前:お金入れたら…ry)
- 漫画:なかよし・りぼんvsコロコロコミック、ジャンプ→多数決でコロコロとかジャンプを買うことに
- ポケモン(3人で1つってどういうこと?)
- ゲームボーイ(これも、3人で1つなん?)
そして性別関係ないものでも、なぜか私だけ趣味趣向が異なるんですね。
ケーキ:私はチョコが好き。兄弟はイチゴケーキがすき。
→ホールケーキは多数決でイチゴケーキに。
黙ってたら一生自分の好きなもんは回ってこん!そう思った私は、自分の思い通りのものを手に入れるため、幼少期から努力を重ねてきました。
- 泣く
- 大声を出す
- 床に寝転んで駄々をこねる
- いい子にする
- 兄弟から言わせる
- 毎日つぶやく
- しつこくその話をする
何をすれば一番効果的に望むものを手に入れられるのか?を考えて試行錯誤を繰り返しました。
…が、うまくいかないことの方が多くて。母は手強し。
そのうち、なんでも買ってくれる祖父母にお願いするのが一番やんと気づきます。
でもそこは3人兄弟。
奴らがいることで、買ってもらえるものの総数を分けていることになるんですよね。
そこで、祖父母の寵愛を受けるために、私は動きました。
- 一人でも家に行く
- 用事がなくても行く
- 手伝う
- 工作では親じゃなく、ばあちゃん向けに作品を作る
- なぜか毎週土曜日泊まりに行く(保育園時のころから始める。しかも一人で)
当時はなんも考えず、おばあちゃんが好きだから!と言う理由でこんなことをしていたんですが、今思い返すと、戦略的だったような気がしてなりません。
特に、毎週土曜日は祖父母の家に一人で泊まりに行く習慣があったんですがこれがどうやって始まったのかは謎で。
小学校高学年くらいまで、続けていました
「ばあちゃんちの朝ごはんが大好きで、それを食べに行く」という目的を掲げていましたが、一人っこ扱いが嬉しかったのかもしれません。
夕飯のメニューも決めさせてもらえるし、好きな漫画・本も買ってもらえるし、おもちゃも思いのまま!
トイザらスなんて、遠いから行ったことなかったのに、じじばばはトイザらスに連れてってくれるし、なんなら難波(大阪の繁華街)みたいな都会は、じいちゃんとしか行ったことがありませんでした。最高の土曜日でした。
とにかくそんなこんなで、じいちゃん、ばあちゃんの寵愛を受けることに成功していたことは言うまでもありません
このまま中学生になります。
行きたい高校がE判定
中3になって初めて自分の進路を決める選択肢が私の前に転がってきました。
今までは、流されるままに生きてきましたが、これからは自分で選べることが増えるのか〜と思いいろいろ調べると、入りたい部活のある高校を発見。
珍しい部活だったので学区内でその学校以外でその部活ができるところはありませんでした。
「絶対ここの学校に行く!」と決めたものの、結果はE判定。
受験直前でも、D判定以上が出ることはありませんでした。
でも、そこはやっぱり私。
「受けなきゃ始まらない」ってことで、ダメ元で受験。
…すると奇跡的に合格しました。
友人からはこんなことを言われました
でも、私実はただ無謀な受験をしただけじゃなくて、誰よりも直前まで勉強していたんです。
神頼みで御百度参りもしたし(…ん?)
直前まで勉強したし、試験の本当に1秒前まで参考書みてたもんね。
嬉しすぎて「やっぱり神様っているんだな!」と思った出来事でした。
注:成績ギリギリで入った高校の勉強についていけなくなることを、この時の私はまだ知らない
英語できないくせに「留学したい!」
もともと、英語がからっきしだめで。
勉強してもどうも理解できず、成績も上がらず。
でも、これからの人生英語ができないといろいろと不具合があるなと思った私は、気づきます
「そうだ、留学しよう!」と…
全部の成績がよくなかったけど、英語の成績は特に下の下の下。
そんな私が留学したいなんて言っても親も先生も大反対。
特に、国際的な学校でもなかったから、3年に1人でも留学したらいい方で。
誰も留学なんてしないような学校だったから尚更「おまえが留学???無理無理!」となりました。先生も「考え直したら?」なんて言う始末。
ならば!ということで、ネットで調べた留学団体の説明会に一人で行きました。
帰って親に話すものの
- 危ない
- 英語できひんやん
- そんな成績でいけるん?
- 英語なんかすきやったっけ?
- とりあえず留学はやめとき
- てか、どこでそんな情報集めてきたん!?
- 無理無理!
と、取り付く島もありません。
ってことで留学団体の人に成績のことで相談をすると
と、教えてもらいました。
留学に必要な費用がわかった私はすぐに部活を辞め、アルバイトを始めます。
(読者のみなさん、覚えていますでしょうか。私はこの部活をするためにE判定の学校にがんばって入ったのです…なのに入ったら入ったで面白くなくてあっさり辞めちゃったんです。)
▼私の留学のための努力
- 親に留学の安全性をプレゼン
└学校でいろいろと調べたことをプリントアウトして持ち帰り、プレゼンするを1年くらい続けた - 毎日親に留学の話をする
- バイトがない日は先生に勉強を教えてもらう
- 言われたワークをやる
- 英単語4000個くらい覚えた
- バイトして100万貯めた
これだけ健気に頑張れば親も許すでしょ!
ってことで
と見せた段階で
となり、晴れて1年留学が決定しました。
関関同立に行きたい!(わがまま)
何度もお伝えした通り、私は勉強ができるわけではありません。
でも、関西出身だったから、なんとなく「関関同立」に憧れていました。
とはいえ、普通に受けても絶対に受からない…
ってことでいろいろ調べました。
そしたらAO入試(一発芸入試みたいなもん)なるものを発見したではありませんか!
※今となっては一般的な受験方法かもしれませんが、10年以上前の当時は、AO入試はかなりマイナーでした。
片っ端からAO入試がある学部(関関同立)を受験。
1つだけ受かりました
とはいえ、大学って受けるだけで1校5万円くらいするのね。たくさん受けた私、偉いと思ってたけど、何も言わずに受験の費用を出してくれたのは親です。
留学費用も、結局「自分で頑張って稼いだお金は、友達と旅行とか、遊び行くときとかに使いなさい。」と、全額出してくれたんですよね。
そもそも、高校生がバイトで100万貯めれたのも、親から小遣いもらって、欲しい物買ってもらってたからなんですよね。
感謝…
「自分で切り開いてきた」と思っていても一人でできることってたかが知れてます。周りへの感謝って忘れちゃだめですね。
トルコに行きたい(分不相応)
せっかく国際的な学部に入学したんだから、英語圏外の国に行ってみたいぞ!と思った私は、何かないかな〜と友人に相談しました。
成績優秀な2人(と私)は、インターンシップで行けば無料で海外に住めるという情報をGetしました。
いろいろな国に行く門が開かれていて、行きたい国に行けそうなその制度にすごく惹かれました。
でも、ようよう確認すると、面接要項にTOEICの最低点数が書いてあるじゃないですか。
私は何度も言うように勉強ができませんから、最低点を大きく下回るスコアしかないわけです。
そんな中、友人たちは
「私はグアテマラに行くことにしたわ〜」
「私はルーマニアに決まった〜」
なーんて涼しい顔でインターン先をGetしてくるんです。
と言いながら、どうしたもんかと考えました。
方法は2つ
- 何ヶ月後かのTOEIC試験を待って、スコアを上げる(絶望的かつ時間がかかる)
- ダメ元でインターン先に連絡
なら、2かな…
1頑張っても多分スコアは上がらない。(なげやり)
ということで、片っ端から連絡。
- テストが苦手で、成績は芳しくない
- でも、しゃべりはできる
- とりあえず面接はしてみてほしい
- な、しゃべれるでしょ?
- 私、トルコが大大大大好きだから絶対に来たいの!
この必死の感じが伝わり、英語力を一切上げることなく(笑)インターン先を獲得。
無事に2ヶ月間、英語教師として仕事をしてきました。
新卒入社、大失敗
そんなこんなで、就職活動がはじまりました。新卒入社の切符は1社からしかもらえませんでした。
しかも、希望していなかった金融業界から。。
当時は、就職難のような状態で、エントリーシートを100社程度出すのは当たり前の時代でした。
「自分の希望に関係なく、色々な業種に出すべし!」という教えを受け、テキトーにいろんな会社に応募したんですね。なので、特に行きたくもなかった会社を受けて、合格するという運がいいのか悪いのかわからない結果になりました。
最初は、「希望とは違うけど、頑張ろう!」と思って入社しました
でも、
- 研修はスーツで(社内の人しかいないのにスーツ??さらにワイシャツ着用を強要された。ジャケット着てりゃインナーなんて、なんでもよくない?)
- 髪の色規定があった(そりゃ、金髪とかピンクとかがNGなのはわかるけど…大人なんだから放っておいて欲しい)
- ネイルはNG(薄ピンクとかだけOK)
- 制服(まあいいけどさ…好きな服着たいよね)
- 靴の色は黒だけOK
- ジーパンで出勤NG(どうせ制服ではたらくのに??)
- 年功序列(役職につくのは◯歳になってからという謎の規定)
入社してみると、こういう規定が多かったんですよね〜
一生こんなことに気を使って、自分の好きな髪型やネイルもできないなんてちょっとした絶望を味わい
そして、銀行窓口から始まるキャリアは、とにかく「マニュアル通りにできる人が神」的な仕事でした。
10年先もこの仕事をするのか〜と、考えたらすごく悲しくなったので入社8ヶ月で辞めました。
今、たくさんの転職相談をもらっている私ですが、仕事を辞めたいなと思っている人みんなに聞きたい
10年後、その会社で働いている自分は輝いていますか?
案外、答えは自分の中にあるもんで。
この問いに対して、「そんな10年後絶対嫌だ!」って思うなら、もうその仕事はやめた方がいいんです。
外野は
- 安定している仕事を辞めるなんて!
- せっかくの新卒入社の仕事をやめるなんて!
- せめて3年は頑張れば?
- 仕事以外のところで楽しみ見つければよくない?
- 仕事なんて、我慢するべきもの。
- どんな仕事したって、そんなもん
- どうせ転職したって一緒
- 転職失敗したらどうするの?
- 転職先の職場環境が悪かったら後悔するよ?
な〜んて言ってくるもんです。
他人の意見を聞いていたら、私はまだあの金融機関で働いていたんだろうな。
でも、自分の心の声「10年後この仕事していたくない!」を信じて行動しました。
そして、辞めたことを後悔したことは1度もありません。
仕事をやめたのは、新卒入社して8ヶ月
絶対転職先なんてないから。と言われての退職となりました。
今風のかっこいい会社に入りたい!
「1年未満で仕事を辞めたやつに転職先なんてない」
という言葉にやられ、1年ほどニートになりました
(その後、家族からのあたりがひどくなって来たので)再就職するか…という時に、私が出した希望は
- 若い人が多い会社
- 残業OK
- 多少きついのはOK
- とりあえずかっこいい会社に入りたい
- 給料あげてほしい
- 頑張った人が評価される会社
- 年関係なく、できる人が上に立てる会社
こんな条件で転職活動をしました。
自分の希望が明確だったおかげで希望通りの会社から内定を貰い、晴れて社会人に戻ることができました。
(その後、スキルが低すぎる私はめちゃめちゃ罵倒を受ける日々を送る…)
その他の努力
長くなりすぎたので、その他にも人生を思い通りに進めるための努力はしているのですが、箇条書きでお送りします。
全て、なんとなく生きた結果ではなく、試行錯誤した結果手に入れたものです。
- 好きじゃない友達とは連絡とらない。結婚式も断る。たまに、友達が少ない自分に自己嫌悪するものの、友人関係のストレスなく幸せに暮らす
- ニート1年を経て、ダメ元で受けた東証一部上場大手IT会社に(社員数:2万人弱)正社員入社。
- 結婚するから大阪→東京に行きたいとわがままを言う。無理なら辞めると言ったところ異動
- 特に海外出張の必要のない部署で、「海外に行きたい」から異動したいと駄々をこねる。異動は無理だけど、視察出張を組んでもらう。他にも、大きな海外のイベントがあると出張に連れて行ってもらった
- 25くらいで結婚したかった→今すぐ結婚する気がないなら別れろと当時の彼を脅し、26で結婚
- 28歳で出産。寝不足の中ねんトレの本を読み漁る。ほんと、寝不足つらかった。結果、1歳で一人で寝てくれる良い子に。3歳の今でも一人で寝室に行き、20時までには寝てくれます。
- 産後、ハワイにいきたかったので生後半年の子を夫に預けて、私だけ1週間ハワイへ〜
- 2021年7月で会社員の仕事をやめ、フリーの占い師に
- 会社を辞めて半年後、はじめて月商7桁を達成
- 現在:自由に生きるため試行錯誤中
こうやって書き出してみると
なんやかんや私も頑張って生きてきたんだなあ。と思います。
辛い時に、「辛い」で終わることもできます。
でも「じゃ、どうやって乗り越えるか?」にフォーカスすると人生が変わります。
いろんなターニングポイントがあったけど、努力してなかったら私の人生は、高校受験あたりから人生に妥協し始め、大学には行けず、高卒で地元の中小企業に就職し、特にしたくない仕事をこなし、夫とは知り合うことすら出来ず、今も婚活を頑張っている年収250万円の32歳女だったことでしょう。
いつからだって人生は変えられます。
大手企業で安定していた仕事をやめても、幸せに生きています。
2022年には大企業の正社員と同じ給料程度は、自力で稼げるようになりました。
アラレと占いの関係って?
ここまで話をしてきて、一切占いの話、出てきませんでしたね。
私と占いの出会いは、25歳のころ。私が大阪→東京に出てきた頃、昔から好きだった占いを習うことに。当時は手相を習っていました。
でまあ、ひょんなことから四柱推命も習うんですが、これがすごい。
日干「甲」の人の説明がまさに私だったし、それ以外の細かい部分でも、心当たりがあることが多い多い。
特に、私が新卒入社した時の会社を辞めた頃って金の三合という珍しい運が回ってきていて。
甲(木)にとって金は大敵。大きな脅威が回ってきてたんですよ。だから耐えきれなくてやめちゃったのかな?と思いました。
そして、今年(2021年)仕事をやめたんですが、なんと、金の半会してました。
私にとって金が回ってくる時に、人生が動くなあ〜と気づいたんです。
占いを盲目的に信じてるわけじゃないのですが、ここまでサイクルが規則的だと信じるしか無くなってしまったんですよね〜
そして出産を機に、「人生について」考えることが増えました。
- 本当に会社員として一生を過ごすのが幸せなのか?
- 私は自分の生きたかった人生を生きているのか?
- 人から言われた仕事をしていて幸せ?
- もし、会社が潰れたら私に残るものってなんだろう?
- 本当は自由に生きたいと思っているのに、無理と決めつけているのは誰?
こんな考えがぐるぐると渦巻いてきました。
そして独立、自立するために私ができることを考えた時に「占い」しかないことに気がつきました。
占い「しか」ないのか、占い「が」あるのか、はわかりませんが、私が唯一できること「占い」を使って何か人のためになることができないかな?と考えるようになりました。
人生を思い通りにするために占い、使えないか?
人生を思い通りにするために、もちろん不断の努力は必要です。
でも、占いを使ったらもっと効率的に思い通りの人生を歩めたなあ〜とも思うんです。
私は身旺の「甲」。月柱に刧財帝王を持っています。幸せに生きるためのキーワードは「自立」です。
会社員してたころって、楽しいけどなんか違う感が結構あって。
良い上司に恵まれた時はいいんですが、上司が変わるごとに気分が左右されちゃってたんですよね。
それって、全然自立できていない証拠で。
自分の「甲」という特性を生かして生きよう!と決めた時、心がスッと軽くなりました。
あと、占いで「こうだよ」と言われると今まで「自分にできっこない」と思ってたことにも一歩踏み出す後押しをもらえた気がするんですよね。
占いに出会っていなければ、独立の踏ん切りがつくこともなかったかもしれません。
私の本質「人生を自分の思い通りに進める」×「占い」で
「人生を思い通りに進めたい」人のお手伝いができないかと思い、この占いサービスを始めました。
思い通りの人生を歩んでいない人は、単純にそのゴール設定を間違っているだけなのかもしれません
もしくは、「できない」と決めつけ、勝手に卑屈になっているだけなのかも
自分の可能性を狭めているのは、周囲ではなく自分かもしれません。
なぜ、不満を抱いたままなのに、動かないの?自分をもっと、信じてあげよう
自分の素晴らしさ・強みは、ちゃーんと命式に書かれています。
その武器に出会えさえすれば、わがままに、自分の人生を思い通りに進めることができますよ。
唯一無二の輝かしい才能なんてなくてもいい。
100人に1人程度の人よりもちょっと得意なスキルを2つ持っていれば、1万人に1人の逸材になれるんです。
私も今まだ、発展途上。
いろんなことに挑戦し、私自身変わっている途中です。
一緒に思い通りの人生を作りませんか。
あなたとお話しできることを、楽しみにしています
アラレ