アラレはこんな人

YouTubeで知ってくれた人、四柱推命の検索をしていたら私の記事が出てきた人…初めまして!占い師のアラレです。

このページまで飛んでくださってありがとうございます。今ではYoutubeで四柱推命の発信などをしているのですが、アラレってどんな人??何をやってる人?というのをまとめました。

このページでは、私の自分語りをします!ちょっと長いですが、最後までお付き合いくださいmm

生まれ

私は、大阪の田舎に3兄弟の真ん中として生まれました。

経済状況的にはそこそこ裕福な家庭でしたが、両親は大阪の田舎(だんじりがある地域です)育ちなため血の気も多く、怒鳴られることも日常茶飯事。「親の言うことは絶対」のような価値観で育てられました。

「オトンが間違ってるやん…」と思うことでも、両親はとりあえず「言うこと聞いとけ」の一点張り。どれだけ主張しても、結局最後は「誰の金で生きてると思ってる!」と言われる始末。

確かにうちは、欲しいものは大体なんでも買ってもらえたし、習い事も我慢したことはありません。「お金」を理由に諦めないといけないことはないような環境で育ててもらいました。

ですが母親も、私が「オトンが間違ってるよな?」と言っても「合ってるか間違ってるかなんかどうでもいいねん。怒らせると面倒やろ?あんたの主張はどうでもいいから黙って言うこと聞いといて」というスタンスで。

私は、子供だからとか、女だからとか、年下だからとか、誰がお金稼いでるかとかに関係なく、公平な話し合いがしたかったんですよね。子供が言うことでも、大人が「そうだな」と思うことはそうだなと認めてほしかった。

でも、そんな環境で育ったからか、いつの間にか「お金を持っている人(稼いでいる人)が一番偉い」という価値観を持つようになりました。

そして、私も「自分でお金稼いで自分でなんでも決められるようになってやる!一生オトンのいうこと聞いて生きるなんてまっぴらごめん」と考えるようになりました。

就活失敗

お金を稼ぐためには、いい会社に就職してバリバリ働くぞ!と思っていた私は、漠然と「ネームバリューのある会社に就職しなければ!」と考え、それに向かって邁進することに。

聞いたことのある会社を片っ端から受けましたが、結果は惨敗。希望の会社からは内定をもらうことができませんでした。

そんな中友人たちは、誰もが聞いたことのある会社に次々と内定をもらい…

お祈りメールをもらう度に友人と自分を比較して落ち込んだし、「自分って誰からも必要とされてないんだ…」という気持ちになりました。

なんとか内定をもらえた1社に入社し、一時は「ここでがんばろう!」と思ったものの、私が就職した会社は給料もすごく低く、マニュアル通りに動くことが求められる仕事でした。

「留学したり、大学まで行かせてもらったのに。結果、行き着いた先がこんな人生か…」と絶望する日々。

自分で思考する必要がなく、誰にでもできるような仕事をしている自分がどんどん嫌いになったし、両親にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私の想像していた社会人生活とは全く違う生活でした。

アラレ
アラレ
あの時は、天気がいいほど気分が落ち込んだ!この先何十年もこんな生活を続けるのかなと思ったら、もうバイトでええやん。なんでこんな仕事に週5も人生捧げなあかんねん。と思うように。

そして、半年ほどで退職。そのままニートに。

一日中着替えず、大好きだった漫画を読んで、母親が用意してくれたご飯を食べ、家事を手伝うこともなくお小遣いをもらい、毎日を過ごしました。私は、自分が一番嫌っていた「両親に依存する大人」になっていたのです。

 

やっぱり働こう!

そんなニート生活を半年以上続けた頃に、そろそろ働かないと…という気運がやってきました。

端折るのですが、この時はすごく運が良く、第二新卒で受けた一部上場企業(私が新卒で落ちた会社)に内定をもらうことができました。すごく嬉しかったし、自分がそんな立派な会社に就職できるなんて誇らしい気持ちで再就職を遂げます。

エリート集団に、ついていけない(焦)

意気揚々と入社したはいいものの、社会人としての土台をろくに持っていなかった私はポンコツで、何もできない社員として毎日を過ごすことになりました。

前職はマニュアル通りに動くだけだったので、基本的なメールの送り方も知らないし、パソコンも使ってなかったのでパソコンスキルもほぼなし。

再就職した会社は体育会系のIT会社だったので、毎日「そんな基本的なこと聞くな!」「いつ売上あげるん?」「何か一つでも売るまで会社に戻ってくんな!」「なんで座ってるん?さっさと外に営業行け!」と怒られる日々。

そんな中でも、前職よりもお給料もたくさんいただけるようになったし、なんとか会社に貢献したいという気持ちで、仕事をこなしました。営業時間中に会社にいたら「さっさと外回り行けと」怒られるので、資料を作るのは営業時間後。家に帰るのは終電、朝は7:00の電車に乗り、会社に行く日々。毎日寝不足でしたが、不思議と「働くこと自体は好きだな」と思ったりもしてました。

激務と言われるような環境でしたが、自分で働いてしっかりとお給料がもらえることは私にとって何にも変え難い喜びでした。

東京に移動

毎日、営業、提案資料作成…と業務に勤しみましたが、営業成績は一向に上向かず。とうとう「のんびりした会社でも、激務な会社でも、結局同じで嫌になってる。私は働くことに向いていないんだ」と思うようになりました。

深夜に帰宅し、「もう明日は会社に行きたくない」と思いながら寝て、朝が来たら何も考えずに出社する毎日を送っていました。

そんな中、東京本社に転勤することに。

底辺営業マン、東京でMVPを取る

大阪で生まれ育った私は「大阪も大きい都市だし、大阪の規模で生きていければ十分!」と思っていました。でも、東京に来て東京のクライアントの予算が大阪の数十倍だったことにすごくびっくりしました。だって、名のある企業の全国規模の予算が東京にあるんだからね。よく考えたらそうだよな。と。

大阪で新規で30万円の受注をするのと、東京で500万円の受注をするのとでは、同じくらいの難易度だったんですよね。なのに、東京と大阪での営業目標の数字はそんなに変わりませんでした。

大阪で底辺だった私は、東京では誰よりも働く奴でした。深夜残業は慣れっこだし、メールの返信スピードも激早だし、強めに怒られてもめげないし、みんなが嫌がるような小さな案件にも真摯に取り組む(というか、小さい案件しか持ってなかった)。

東京ではそれがハマったのか、少ない予算だった会社からもどんどん予算を任せてもらえるようになり、売上が鰻登りになりました。そして東京に来て2年目の冬、営業MVPを取るまでになりました。とっても嬉しかったことを覚えています。

おかしい行動をし始める

MVPを取ったあたりから、何をカンチガイしたのか、私は天狗になったんですよね。ついちょっと前まで底辺営業だったのに。

売上を上げてる人が偉いと思い込んで、目標を達成しない人にキツく当たっていました。自分が仕事を教えてもらえなかったという気持ちも持っていたからか、「ちょっとは自分で考えたら?」「私、忙しいから他の人に聞いて」「今は無理!」と嫌な奴になっていました。

自分もちょっと前までその立場だったことはすっかり忘れて、周りから「アラレさんすごい!」と言われるのを間に受け、横柄に振る舞うことが増えました。私の周りから少しずつ、人が離れていきました。

ど正論で現実を突きつけられる

ある日、クライアントから無理な返金依頼を受けました。

私は「規約通り、返金の必要はないです。うちに落ち度はありません」と主張しましたが、上司命令で謝罪&返金になることに。

ここで上司と口論になるのですが、上司からはこう言われました。

「誰が正しいとか正しくないとかじゃない。会社が決めたんだから、お前はそう動くのが仕事だろ。自分の主張通したいんだったら自分で会社でも立ち上げて、好きに仕事すればいい。自分で会社を起こすこともできないただの会社員なんだから、とりあえず言われた通りに動けよ」と。

ど正論!

私自身、「自分に会社なんて立ち上げられるわけないし、そりゃそうだよな…こんなに売上を上げても、結局自分のチカラってこんなもんか」と、がっかりしました。と同時に、「いつかこんなこと言われないくらいの力をつけてやる!」と静かに決意したことも覚えています。

産休に入る

そんなこんなで、MVPを取った翌年妊娠し、産休に入ることになりました。

育休明けに、高い社内評価を取るのは難しいだろうから、産休前にガツンと評価を上げてから休もう!と考えていた私は、今まで通り売上を上げて休みに入りました。

でも、その時の評価は+1(ふつう)

-6〜+6まである社内評価で+1だったんです。プラスやったらいいやんと思われるかもしれないのですが、売上は今まで通りトップの成績だったので、ありえない評価だと感じました。

当時は「こんなに頑張ってきたのに結局、私も会社の使い捨ての駒だったんだ」と虚無感でいっぱいでした。

今思えば、天狗になった私からたくさんの人が離れて行ってたのかなと思います。自分を守ってくれる上司もおらず、悲しい気持ちで産休に入りました。

会社にしがみつく…?

評価の件でモヤモヤはあったものの、エリート会社員として人生を歩むのが幸せの道だと信じて、子供を産んで1年ほどで会社に復帰をしました。

自分でしっかり稼いでいたいと思っていたので、フルタイムで復帰。

私自身が出世したいと言ってたもんだから、小さな子供はいるけど仕事は多めに振られる日々。上司からの優しい声掛けは「誰かに任せていいよ」じゃなく、「家に持って帰って夜にやってくれたらいいからね!」でした。

夜は夜で寝ない子の相手があり、仕事も子育ても思うように進められない。精神的にも、体力的にも限界が来ていました。

このままでいいのか?

会社員を辞めるなんて考えたこともなかったのですが、自分のキャパを超え「私、このまま何年も会社員として頑張れるかな…?頑張って働いたって、結局評価も上がらなかったし、子連れでこれからも数年は上がらないよな。結局、会社からしたら私はただの歯車であって、大切に守るべき存在でもなかったんだよな…」と今までの自分の考えに疑問を持つようになりました。

子供が熱を出した時は「子供がいる中でZoom会議になってもいいよ」と言われる。

会社からは最大限の配慮をしてもらったと思うのですが、私は、熱を出した子供の横で会議をするんじゃなくて、仕事を休んで子供に100%目を向けてしっかり看病をしたかった。

 

うまく仕事を回せず、売上も上げられなくなって、上司からの評価も下がりました。

リーダーとしての役割が果たせていない私に、ついてきてくれる部下もいませんでした。今まで大切にしてきた「エリート会社員」としての自分が全て崩れ落ちた瞬間です。

(ちなみに、売上がすごく下がって、貢献感が全然ない当時の評価も+1でした。温情評価だったとは思うのですが、バリバリ働いていた最後も同じ評価だったことはやっぱりおかしいよな…とも感じました)

趣味の占い

時系列が少し戻るのですが、育休中人生に迷っていた時に、Google検索で、一人の脱サラ占い師を見つけました。

その人は、30歳まで正社員になったことがなく、苦労三昧。だけど30歳ごろに占い師として起業して家で占いをし、会社を辞め、今では会社員時代の給料を超える金額を稼いでいるとのこと。

起業なんて一部の優れた人しか成功させられないと思っていた私は、その人のブログを読んで衝撃を受けました。1日中その人のブログを読み、隅から隅まで100記事以上読み漁りました。ブログを読み切った頃には「自分にもできるかもしれない!」と思い、占いのSNSを開設しました。

私はもともと、占いスクールに通ったことがありました。

小さい頃から占いが好きだったし、東京転勤になり友達もいないし、暇だからなんとなく習おうと気軽な気持ちで習っていたものです。その時は、占い師になるなんてこれっぽっちも思っていなかったのですが、今思えば運命を左右する選択だったと思います。

習いにいった行動力のある当時の自分に感謝しつつ、「占いが仕事になればいいな」と考え子育ての合間をみてHPを作ったり…と小さく占い業を始めました。

しかし、コンスタンスに集客し続けるのが難しく、やっぱり自分に起業は難しいと考え、そのまま会社員に戻りました。

やめる決意をした

働きながらも、毎日会社を辞めたいと思っていました。でも辞められなかったのは幼い子供の将来を不安に思ったからでした。夫は働いてくれていましたが、何かあったとき、自分一人でもなんとかできる経済状況を手放したくなかったんです。

仕事を辞めて、子育てに注力してもいいのでは?という考えがよぎるたび、子供の時から感じていたこと「誰かに依存して、いいことはない。」という警鐘が鳴るのです。

だったら、会社を辞めるなら自分で稼ぐしかないと決心しました。

 

会社を辞めたら何もできない自分だけが残ります。唯一、趣味で習っていた占いがあったので、もうこれしかないという縋る想いで占い業に集中しました。

そこからは占いに向き合う日々。やるからには、絶対にお客様を幸せにするぞという気持ちで取り組み、どうしたらお客様に満足してもらえるのか、今日占った人はどんな表情をしてたか?と毎日お客様のことを考えました。

 

お客様が全く自分の知らない世界の相談をして来られたときは、満足のいく答えが出せず、消化不良になってしまうこともありました。そんなときは相談後すぐ、お客様のいる状況を少しでも正しく理解できるように、その業界の専門書を買って読んだり、研究したり…なので、私の本棚には色んなジャンルの本があります。

色々試行錯誤した結果、苦手なジャンルの相談に乗るのではなく、自分の得意なジャンル「仕事」に特化して占いをすることにしました。

仕事は私の人生のテーマでしたし、私がやるべきことはこれだ!とピッタリとピースがはまった瞬間です。私と同じように、守るものがあってお金に縛り付けられて好きに生きられない人に、自由に生きられる道を提示したいと思いました。

 

発信を続けるうちに、少しずつお客様も増え、占いで月間5万円の売上が上がるようになった時に、会社を辞めました。2021年の初夏でした。

占いで、生きていく

それからは、仕事の時間は全てお客様のことを考える時間になりました。

どうしたらもっとわかりやすい表現ができるか、どうしたらもっと満足してもらえるのかを毎日毎日考えていると、少しずつお客様も増えていきました。

占ってほしいという声だけじゃなく、占いを教えてほしいという声もいただくようになり、2022年には占いを教えるようにもなりました。2023年に妊娠し、仕事のペースを落としましたが、2024年の今では累計50名の生徒がいます。

これからの夢

今までは占いを通じて、自由に生きられる道を提示してきましたが、自分の想いや占いで示されているその人の強みだけでは現実を変えるのが難しいケースにも当たるようになってきました。

望み通りの人生を手に入れるために努力は必要だけど、正しい方向の努力をしなければ結果はついてきません。強みを活用すればうまくいくんだけど、その細かな活用方法は占いだけでは提示しきれませんでした。

自分自身が、占いを仕事にするために必死に勉強したマーケティング(奇しくも会社員として8年取り組んだ仕事もマーケティング関連のものでした…)と、占い結果を同時にお伝えすることで、本当に人生を変えられるお客様が増えるのではないか…

現実を変えるための知識(マーケティング)と、自分の内面を教えてくれる占いを掛け合わせ、人生を変えるお手伝いがしたいのです。

講座やYoutubeで「やり方はわかったけど、怖くて行動に移せない」という人も多いので、そんな人が仲間を作れるようなコミュニティも作れたらと考えています。

コミュニティ自体は、私が何かを教えるようなトップダウンの形式ではなく、みんなで今日の行動や各自学んだことなどをシェアしながら、一緒に1歩踏み出せる仲間を見つけられるような場にしたいなと思っています。

1人では踏み出せないこと(例えばYoutubeを始めるだったり)も、仲間がいれば「一緒にやろうよ!」と声をかけ合うこともできます。会社や家庭以外にも自分の居場所があれば、一息つける瞬間もあります。

そんな場所を提供することで、自分のチカラで生きていける人を増やすのが私の夢です。

さっさと行動したいのですが、2024年に第2子が生まれたので、現在はゆっくりペースで仕事をさせていただいています。子供が保育園に行ってくれるようになったら、どのくらいの人が集まってくれるか未知数ですが、挑戦したい人が集まれるようなコミュニティを提供したいと思っています。

1人でも多くの人が、守るべきものを守りながら、自由な選択ができる未来になりますように。そのためのお手伝いをしています。

ママでも、女でも、何歳でも、自分の好きに生きることを諦めるな!

 

 

アラレ